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天社土御門神道本庁(その2) [陰陽道]

皆さんこんにちは。

今回も久しぶりの更新となってしまいました。


今回、土御門神道本庁の藤田庁長にまた、暦のお話をお伺いする事が出来ましたので、暦のお話をさせて頂きたいと思います。


安倍晴明天文観測.jpg



今回の土御門神道本庁と暦会館の訪問に際し、私には「暦の干支は、古代中国の皇帝が即位した時とか、いつを基準に始まったのか知りたい」という疑問があり、藤田庁長にお会いする事が出来れば、是非質問させて貰いたいと思っておりました。
運よく、また藤田庁長とお会いする事が出来、この質問させて頂きました。


藤田庁長は「殷の頃から、古代中国の帝が立つ時には、暦の年号を変えます。でも、古代中国のそれぞれの文献に書かれている年号、干支がつながる訳ではなく、整合性がない場合も多く、改暦改暦のつぎはぎの状態だったと言った方がいいと思います。」と言われ、また「日本では明治の改暦以後ではありますが、干支の整合性をとる為、神武天皇の即位の年(紀元前660年)を辛酉(かのととり)と逆算し、現在における旧暦の干支は計算し直して決められております。」と答えて頂きました。


その後、家で調べてみると、現在の中国の旧暦もたまたまなのか、日本の旧暦の干支と全く同じであるようなのですが、どういう繋がりでそうなったのか、私にはまた疑問が生まれましたが、岡田芳郎先生の旧暦読本に辛酉(かのととり)は「天(神)が命令を改め、王朝を建てる」ことを行うとされる中国の讖緯説という古代思想の中心的考え方をもとに神武天応即位の干支を逆算しているようなので、もともとの中国も同じ考え方で調整を行い、同じ干支になったという事なのでしょうか。
干支は占いの根拠となる事が多いと思われるので、その基準はすごく気になるところでありました。


藤田庁長はまた「渋川春海の貞享暦以前は昔の陰陽寮の暦も含めて、ほぼ中国の暦をそのまま採用してきたらしいのですが、その後、確かに数学的根拠を持って作られた渋川春海の貞享暦でさえ、新しい暦を作ったというよりは、古い暦に改良を加えたものといった方がいいのかも知れない。また、日本に合った新しい七十二候も作ったともされるが、これも猟師など自然に関わる人たちの話を集めた結果で、今まで有った知識を総動員して、それまでの暦を改善したという方がいいのかも知れませんね。」と言われ、「その後、明治の改暦で役人の給料を節約する為とも言われもしたらしいですが、暦は「グレゴリオ暦」という太陽暦となり、旧暦から新暦に変わったのです。」という事を言われました。


また、「暦に季節というが、これはその時の「気」ととらえる方がいいのです。「日」ととらえると「日」が積み重なり、溜まるばかりであります。季節はぐるぐる廻り、また同じところに戻ってくるもの。「気」ととらえる事で、暦は循環する事が出来るのです。五行に関しても、水を得て木が育ち、木から火が生じ、火は土を生む、土は金を産んで、金には水(滴)がつく。暦も五行の循環と同じだと考えた方が良いですよ。十二支についても、植物の成長過程にたとえて、種の状態の「子」から、紐のように芽を吹きだす「丑」・・・そして最後の「亥」は閉ざす(殻・種)の意味で、また種に戻ってくるという意味でもあります。」とおっしゃられ、暦とは生きるものすべてがぐるぐると循環するものであり、自然を観察する事で暦は出来たという事を教えて頂きました。




また、次に「太一は宇宙の中心、天の北極、北極星、この周りを北斗七星が廻り、その外側には二十八宿があり、その間には神様が働いている。」と天の話もして頂きました。


北極星北斗七星.jpg



これはその後の私の蛇足的想像ですが、平安時代に思いをはせると、夜の平安京、朱雀大路から北極星を見ると北斗七星がその周りを廻り、北極星の下には内裏、北極星の下には天皇が常にいたんだと感慨深い思いが起こりました。


私がその藤田庁長の話に「まるで六壬占の式盤みたいですね」と返すと、「そうかも知れません。占いは地軸が傾き、地球が自転しており、その位置関係から、相対的に決まる相関関係によって導かれるものでありますが、占いはあくまでも統計学です。占いの根拠である暦が改暦改暦の不変のものでありませんでしたから、その誤差分も考慮に入れておかないと本当の占いは出来ませんし、もっと不確実ないろんな要素を考慮に入れ、経験的な部分で補いながら、完成していったのではないでしょうか。」とおっしゃられ、私が思っていたような「暦」と「天地から中国古代人が読み取った陰陽、五行からなる占いの原理」と「占いの結果」は理論的にシンプルな結果にまとまるのではないかという私の考えには収まらず、「占いは経験論的な統計学の世界になりますよ。」と教えて頂きました。

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そうなのですね。占いは天地の理でなく、統計学なのですね。私の理想も変えた方がいいのかもですね。


あと、具注暦については、「大唐陰陽書などのテキストを100種類ぐらいは読んでおくべきでしょう。」と藤田庁長は言われ、土御門暦の造暦者恐るべしと思いました。

また、「私のお世話になっている中国人の大学教授の先生が、中国に陰陽道はないと言われています。」と私が言ったら、「そうですね。陰陽道は日本で出来た言葉ではないでしょうか。」と答えて頂きました。

最後に、1つ印象的だった話があるのですが、藤田庁長が「安倍晴明は陰陽博士でした。」と言われた事です。私は「安倍晴明は天文博士ではないのですか?」と聞き直しましたが、「いいえ。陰陽博士です。」と言われました。土御門暦の冒頭にも、確かに安倍晴明が陰陽博士である事が書いてありました。私は安倍晴明が陰陽博士ではなく、天文博士であるとずっと思っており、晴明さんの専門の天文だと天文分野にも思いを馳せてきたので、正直少しショックでした。でも、陰陽博士の安倍晴明は何でか分からないけれど、しっくりくるなと感じる私もここにいると思います。

その後、いろいろな方々から安倍晴明は史実天文博士である事のご指摘を受け、ブログの内容を確認した方がいいのではとのアドバイスもお受けしました。
私は確かに陰陽博士である安倍晴明に魅力を感じます。
でも、私は史実であるといわれる天文博士としての安倍晴明を調べていく方針も貫いていけたらとも思っております。


安倍晴明像.jpg




今回また、運よく土御門神道本庁の藤田庁長にお会い出来、有り難い話をたくさんして頂いたのですが、藤田庁長ももうご高齢という事で、いつまでもお元気でおられて欲しいという事を願うとともに、今回もお会い出来、ありがたいお話を頂いた事に対して感謝いたします。


土御門神道と暦会館の訪問、今回も得るものが大きかったです。

藤田庁長、本当にありがとうございました。











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陰陽道家 高橋圭也先生 [陰陽道]

皆さんこんにちは。

今回も久しぶりの更新となってしまいました。

今回は以前、「現代の陰陽師!」のブログページで紹介させて貰った、映画「陰陽師」の陰陽道指導等で有名な陰陽道家の高橋圭也先生と、幸運にも東京でお会いするきっかけがありましたので、今回のブログは高橋先生の話です。

高橋先生は天社土御門神道系の流れをくむ陰陽道北斗派第三代宗家陰陽師ということらしいのですが、明治5年の陰陽師廃止以来、陰陽師という仕事は現代にないという事で、陰陽道家を名乗っていらっしゃるそうですが、現代において生きた陰陽道を身に着けていらっしゃる数少ない方のひとりであると思っております。

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高橋先生は陰陽道の陰陽は陰陽五行説ではなく、「六壬式占(=陰陽{ウラ})」という意味であるとTwitter等で主張される事が多いのですが、 土御門神道の藤田庁長のところで、私が陰陽五行と易とはどのように結びついているのですかと藤田庁長に質問した時、「陰陽は易(占いの総称)と表裏一体で、五行が後から、加わったと考える方が良いでしょう」と藤田庁長から答えを頂いた事とだぶるみたいですが、陰陽とは占いの事なのか私には未だにその事がいまいち理解出来ていないようです。

高橋先生には陰陽道を理解するにはまず占いをひとつでもいいので、深く掘り下げ、それを極める事が一番確実で逆に近道である事を教えて貰いました。ひとつ極める事で、ある時、期が満ちれば全てが分かるようになりますよと教えて頂きました。ひとつでもいい。何の占いがいいか。私はやはり占事略決の六壬式占を理解したい。そう思いました。でも占いは悪い結果が出ても、決めるのは自分自身ですよと念を押されました。占いは当たって7割だと。天才陰陽師と称された安倍泰親の言葉と同じですね。

高橋先生に会って最初の印象はカッコいい方だなと思いました。ひとつの事を極めた人に感じる余裕というか、雰囲気を持ち、知的な感じでした。それ以上にやさしい人だなと思いました。私のブログも以前から見て貰っていたようで、「藤田先生の記事以降最近1、2年更新してませんでしたよね」と言われ、更新出来ていなかった事は置いておく事にして、正直嬉しかったです。

交友関係も少し話されていましたが、私がこのブログでもアタックしてきた土御門神道をはじめ、陰陽道関係者の有名どころの方々と交友関係があるみたいで、その話から私の手さぐりで探し続けている陰陽道への道筋の方も運よく最短コースに近いのではないかという事も確認出来たのではないかと思います。その事は今回の大きな収穫であると思います。

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ひとつ今回、私が忘れていたのですが、高橋先生と会えた事に関してひとつ心残りなのは、今回、星の見方について少しでもお話を聞いておけば良かったなと思いました。高橋先生の星の見方が知りたい。そう思います。

高橋先生は瑞星庵という公式サイトを持たれていますが、現在Twitterと連動して瑞星庵のコラムの方でも、陰陽道の話またはその他最新情報を話されています。先生のありがたい情報は貴重だと思います。瑞星庵の会員のみみたいですが、占いの授業の生徒も募集されています。本当に有難い話です。

最近の高橋先生の最新情報としては、今年のNHK大河ドラマ「平清盛」第1回放送で、高橋先生が陰陽道指導した陰陽師の登場した事でしょうか。

平清盛陰陽師.jpg

登場した陰陽師は残念ながら、少しの出番であったようですが、最近はテレビ、映画ともに陰陽師の出番は増えつつあるようなので、今後に期待したいと思います。高橋先生指導の陰陽師の登場は本当に待ち遠しい限りです。

高橋圭也先生には、今後も日本の陰陽、陰陽道をリードする方であり続けて欲しいと思いますし、今後のご活躍にも本当に期待しております。高橋先生ありがとうございました。

最後に、たまたまですが、今夜は旧暦で一年で最後の満月の夜です。

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これから月が欠けていき、新月になった時、旧暦では今年の1月1日です。

旧暦では壬辰、新年の幕開けです。

いい一年が始まって欲しい、いい一年でありますように。

そう願ってやみません。 


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天社土御門神道本庁 [陰陽道]

 

皆さんこんにちは。

お久しぶりの更新となりました。

今回は安倍晴明の子孫である土御門家の天社土御門神道本庁へ行って来ました。

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 土御門本庁は前回登場の暦会館と同じ福井県大飯郡おおい町名田庄にあります。

前回の記事、福島県おおい町暦会館へは昨年の9月に行って来たのですが、実は昨年同時に、土御門神道本庁も訪問し、土御門家の藤田庁長にお話しをお伺いしていたのですが、藤田庁長の話しの内容がとても濃く、私の中で消化しきれていなかった理由から、ブログの更新が出来ずにいました。今年の9月にまた土御門神道本庁へおじゃまして、今年も運良く、土御門家の子孫である藤田庁長にまたまたお話を聞かせて貰って来ました。

昨年は暦の話、土御門家の歴史、安倍晴明の話、土御門家の今後、陰陽道の話、暦会館の建設苦労話など、幅広く、濃く、お話をお伺いして来ていたのですが、容易にはブログに出来ず、今年もう一度、藤田庁長にお話を伺う事が出来、やっとこの記事の更新にこぎ着けました。

安倍晴明肖像.jpg

今年の話は、安倍晴明の肖像画にある式神がペルシャの方の顔立ちをしているという話しから始まりました。

土御門家、大元の安倍家は、技術を持った渡来人の血が入った、外国の影響を多分に受けた血筋だと、藤田庁長は言われました。

晴明公が使い出した五芒星は西洋ではペンタグラムと呼ばれていますが、これは晴明公が編み出したというより、安倍家が外国の文明に通じていた証拠のひとつである。ペンタグラムはもともと西洋の方で編み出され、海を経て日本にもたらされ、この海の航海技術に通じていたのが、安倍家の家系であった。安倍家の家系は航海技術にも通じていた。藤田庁長は言われました。

蝦夷征伐、朝鮮百済の国の援軍の大将として、水軍を率いた阿倍比羅夫にしてしかりだと、藤田庁長は言われ、安倍氏氏が水軍を率いるという事は、当然、航海術にも通じ、海を通していろいろな外国の技術にも精通していたのではないかという事でした。

土御門家は後に天文道、暦道をも受け継ぐ事になるのですが、この天文観測の技術も外国からのもの、先ほどのペルシャ、メソポタミアの文明に端を発しておりますが、この技術にしても使いこなす為には、やはり西洋文明が見え隠れするようです。

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安倍晴明の出生が未だ良く分からないのは、晴明のお母さんが外国の人だったからなどの話も飛び出しました。摂津の阿倍野に所領を持っていた、安倍の一族が、先ほどの百済の国から逃れてきた一族のお姫様が安倍晴明のお母さんであるから、どうしても表に出せなかった。安倍家は晴明公から吉志舞を奉納するようになったのだそうですが、この謎の多いお母さんの話は、吉志舞を舞っていた吉志一族の話だそうですが、このような表に出せない秘密があったから、晴明の出生は謎に満ちた話として語り継がれたのではないかという話も聞かせて貰いました。

また少し話はさかのぼります。安倍家の初まりは、8代目の孝元天皇らしいのですが、安倍姓を名乗ったのは、大化の改新の頃、左大臣として天皇に仕えていた、安倍倉梯麻呂で、その後、竹取物語の実在人物の安倍御主人、そして唐に渡り、大切な書物を吉備真備に託し、本人は唐から日本には帰れずじまいだった、安倍仲麻呂公。実はこの安倍仲麻呂と吉備真備の出会いこそが、日本の陰陽道の2大宗家の安倍家と賀茂家の序説であったらしいのです。安倍家の先祖である仲麻呂公が唐で獲得した陰陽道の秘書を吉備真備に託した訳ですが、吉備真備は賀茂家の祖先で、賀茂家に伝えられた陰陽道の秘術を、安倍家に受け継ぐにふさわしい人物が現れた時には、安倍家に伝授し、仲麿公の恩をかえす。安倍晴明は賀茂忠行、保憲父子に陰陽道の秘術を余すところなく学んだ訳ですが、この事で実現されたとの事で、なかなか奥深い話しでした。

 

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天社土御門神道本庁の神前ですが、晴明公の坐像が前の方に出てきていましたが、土御門神道本庁の主祭神は安倍倉橋梯麻呂公だそうです(中央)。右側に泰山府君が控え、左側に安倍晴明公が控えておられるそうです。

また、晴明公は天皇家の料理長である大膳大夫も父に継いで、勤めていますが、これも安倍家があらゆる技術面で優れていた証拠であり、特に大膳大夫は漢方の知識も必要だそうで、安倍晴明は漢方の知識にも精通しており、中国の古典で、中国伝統医学の根本をなす書物「黄帝内経」などにも、当然精通していたのではないかと、藤田庁長は語られました。

黄帝内経素問 上巻―現代語訳

黄帝内経素問 上巻―現代語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 東洋学術出版社
  • 発売日: 1991/11
  • メディア: 単行本

 

明治初頭、明治新政府は陰陽道の宗家、土御門家に頭をさげ、陰陽道と作暦をやめてくださいと言ってきたそうです。代わりに土御門家の当主に天文技術の最高教育機関の長官になって貰えないかと言ってきたそうですが、当時の土御門家当主は6歳で、長官の話は断ったそうです。事実上、日本の陰陽道はこの時廃止されはしたが、現代の日本においても、知られていないだけで、陰陽道は日本文化の全てと関係しており、日本の年中行事はほとんどが陰陽道に由来している事を日本人は忘れかけている。陰陽道の廃止以前、日本は緻密に陰陽道で出来ていたとの事。明治政府は西洋諸国に負けない国家を目指す為、陰陽道を廃止し、西洋文明を西洋の最先端技術を取り入れ、躍進的な発展を遂げていくのだが、ここでの目覚しい発展が出来たのは、陰陽道で基礎が固められた、日本人の底力があったからだと藤田庁長は熱く語られました。

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藤田庁長に、今後の私の勉強の為に、陰陽五行と易とはどのように結びついているのですかと質問したのですが、「陰陽は易(占いの総称)と表裏一体で、五行が後から、加わったと考える方が良いでしょう」と答えて頂きました。暦についても質問したのですが、やはり造暦されているからと言うより、土御門の陰陽道のレベルがいかほどに高いかを感じさせられる程、分かりやすく、鋭く答えを頂けました。土御門恐るべしといった感想です。

藤田庁長は月の満ち欠けと、潮の満ち引きがある以上、世界の暦はまた旧暦、太陽太陰暦に戻るのではないかとおっしゃられていました。私も本当に同感します。太陽に加え、月と潮は私達の生活の中に、切っては切れなくなってくる。重要性が増してくると思います。

 

藤田庁長、本当に貴重な話ありがとうございました。

 

 

藤田庁長は最後に、「来月1日に岡野玲子さんがここに話を聞きにくるらしいです。」とおっしゃられていましたが、岡野玲子さんの漫画「陰陽師」のストーリに出てくる舞台「瓜割の滝」と「鵜の瀬」は偶然か、土御門神道本庁のある名田庄からは、比較的遠くない所にあります。車で30、40分といったところでしょうか。

瓜割りの滝.jpg

瓜割の滝です。今では意外と観光客に有名なようでした。

 

鵜の瀬.jpg

 

こちらは鵜の瀬です。ここの水は何かしら気分を落ち着かせてくれる何かがあるようでした。

 

土御門家、天文、暦、安倍晴明、陰陽師、水の流れ ・・・ なかなか感慨深いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 


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福井県おおい町 暦会館 [陰陽道]

皆さんこんにちは。

久しぶりの更新となりました。

今回は2009年の9月のシルバーウィークに福井県おおい町の暦会館に行った話です。

暦会館は安倍晴明の子孫、土御門家と暦の資料を展示した、安倍晴明、陰陽道ファンにはとてもありがたい場所です。

暦会館の藤田館長はれっきとした土御門家関係の子孫であり、土御門神道本庁の庁長さんでもあります。

暦会館.jpg

暦会館は初め、土御門家や暦の倉庫として計画されたらしいのですが、せっかくならば貴重な資料を、たくさんの人に見て貰おうと今の暦会館となったらしいです。

藤田館長は土御門神道本庁で、今も全国の有名寺社の暦を作っておられます。その館長が開いている暦会館。とても有り難い施設だと思います。

現代は、国立天文台から発表される、天文データを下に造暦されるらしく、昔のように天文観測をして、暦を作っていた話からすると、やはり時代は違うようでした。

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一番興味深い展示品だったのは渾天儀です。

中国流の天文観測儀器で、当時はもっと大きな物で、人が中に入って天文観測を行ったそうです。

3つの円盤の組み合わせからなり、これは地平環(地平に置かれた環)、天背環(子午線内に置かれた環)、赤道環(天の赤道内に置かれた環)である。中に入った人間が天体の天球上の位置を角度で読み取る事が出来るようになっているとの事でした。

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これは実際1798年江戸時代の月食の観測記録です。さっきの渾天儀を使って観測されたものでしょうか・・

その他にも、同月食前日の木星と月の観測記録も展示されていました。

月.jpg

月は28日周期で、満ち欠けを繰り返しているらしいのですが、分かりやすく図解されていました。

昔の暦.jpg

幕末頃から始まったとされる、略歴。明治時代、家屋の柱や壁などに貼られ、現在のカレンダーに発展してきたらしいです。

あと、時を計る漏刻計。

漏刻計.jpg

これは、遺跡で見つかった漏刻計の資料に基づいて製作された復元模型であるらしいが、最上段の「夜天地」から「日天地」、「平壷」、「萬分壷」、「水海」へとサイホンの原理で銅管より定量の水を落とし、「水海」の浮子(フロート)の鍚杖目盛により時刻を読み取る装置らしいです。

土御門神道本庁にある安倍晴明公画像のレプリカも展示されていました。

安倍晴明像.jpg

また近いうち、暦の勉強の為、この資料館をまた訪れたい。そう思いました。

何故か暦会館の入り口には、葛の葉姫の詩が・・・

葛の葉姫の碑.jpg

また訪れたい場所が増えました。


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小説「陰陽師」① [安倍晴明と私]

皆さんこんにちは。

今回はこのブログもお蔭様で30記事目という事で、私の大好きな夢枕獏先生の小説「陰陽師」の話にしました。小説「陰陽師」は何回かに分けて書きたいと思うので、今回は初巻の話です。

陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)

陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)

  • 作者: 夢枕 獏
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1991/02
  • メディア: 文庫

私は小説「陰陽師」の晴明像が大好きです。安倍晴明は夢枕先生の小説から入った訳ではありませんが、私の安倍晴明に対するファーストインプレッションとほとんど一致しています。

奇妙な男の話をする。                                           たとえて言うなら、風に漂いながら、夜の虚空に浮く雲のような男の話だ。 闇に浮いた雲は、一瞬も一瞬後も、どれほどかたちを変えたようにも見えないが、見つめていれば、いつの間にかその姿を変えている。同じ雲であるはずなのに、その在様の捕らえどころがない。そんな男の話だ。 名は、安倍晴明。 陰陽師である。

小説「陰陽師」の冒頭であります。ここから安倍晴明の小説は始まります。

陰陽師1①.jpg

今回はこの初巻「陰陽師」についてのお話です。

安倍晴明・・星を見て、陰陽五行の理から世の中の森羅万象を読み解き、占術に長け、式神を使役し、呪術を以って、平安の鬼や物の怪など闇の恐怖から人々を救った陰陽師。その陰陽の術が他の陰陽師と比べてもすごかったので、「晴明は陰陽の達者なり」と言われたそうです。

また、陰陽の達者でありながら、容姿端麗、スマートでクールなスタンスを保ちながら、少しひねくれた人物像にも人々は気を惹きつけられるのではないでしょうか。晴明さんは少しひねくれていたにもかかわらず、さりげなく天才的な陰陽の術で平安の人々を闇の魔から救ったからこそ、約千年後の今日でもその魅力を熱く語り続けられているのだと私は思います。

10300856.jpg   映画「陰陽師」の安倍晴明

初巻は安倍晴明と源博雅の会話シーンが多いです。荒れ庭の晴明邸で、酒を飲みながらの会話が多いですが、特に晴明が博雅に呪(シュ)について、実直な博雅を煙にまくかのような晴明と博雅のやり取りがとても好きです。

博雅「俺をからかっているのか?」

晴明「からかっていると言えばからかっている、からかっていないと言えばからかっていない。」「呪とはそういうものだよ。」

こんな感じで、延々と話は続きます。二人の会話はとても面白い。

次々起こる都の怪異を情熱家で実直な博雅が持ちかけ、素直さが少しひねくれているかのような晴明が、クールなスタンスでこの会話のテンポで冗談交じりに陰陽の理で解明していく。

都の事件、怪異はこのふたりの会話の中で解決に向かいます。このふたりの会話に夢枕先生のすてきなセンスが感じられます。私はとてもお洒落だと思います。

歴史書には、安倍晴明と源博雅の関係は出てこず、夢枕先生のアレンジとの事です。

onmyoji_06.jpg    晴明と博雅(映画陰陽師)

初巻は「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」「梔子の女」「黒川主」「蟇」「鬼のみちゆき」「白比丘尼」の6編で、「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」「鬼のみちゆき」はNHKDモードドラマ「陰陽師」でドラマ化されており、またコミック版「陰陽師」では6編とも漫画化されています。また「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」の中で晴明が式神を使って蝦蟆を殺してくれるように試されたシーンもアレンジされていますが、映画「陰陽師」で出てきます。

NHK陰陽師⑤.jpg   NHKDモードドラマ陰陽師「玄象」、漢多太と玉草と晴明

陰陽師初巻で、私のお気に入りというか凄く惹かれる話は「蟇」です。応天門のあやかしを調べるため晴明と博雅は牛車に乗り、晴明の式の先導のもと、博雅が幽冥界と言っていましたが、この世から別の次元の世界へ牛車を走らせます。晴明が「方違えに似た事」と言う方法を何度も繰り返しながら・・己酉(つちのととり)から五日目・・天一神が方向を移る日にあたる・・その通り道を五度横切りながら・・そのうち誰ぞ見に来るかも知れぬと晴明は博雅に言います・・

「人ではない」「おそらく土(つち)の弟(と)だから土精(どせい)であろうな」晴明は続けます。「俺の姿は見えぬ、博雅は見えような」「俺の言う通りにとすればよい」・・ 「おそらく、博雅にこう訊くであろうよ。人である身が何故かような場所にいるのか」 「そう訊かれたら、こう答えればいい」「実は、先日来わたくしは辛気を病んでおりまして、よく効く薬はないかと知人にたずねておりましたところ、本日、辛気の虫に良く効くという薬草を知人からいいただきました。それが、ハシリドコロという草を干したもので、それを煎じて、これほどの碗に三杯ほどいただきました。その後は何やら心がどうにかなってしまったようで、ここでぼうっとしております・・そう答えるのだぞ」 「何を言われても、今の同じ事を繰り返すだけでよい」晴明が「言われた通りだぞ」と言ううちに白髪の老人の顔が牛車を覗く・・ 老人は土の精・・博雅に訊く「人である身が何故かような場所にいるのか」晴明の言った通りである。 博雅は晴明の言った事のまま伝えると、土精の老人は「ハシリドコロをな」「それで魂がかようなところで遊んでおるのか」 「ところで、お前天一神の通り道を今日五度ほど横切った者がおるのだが、よもやお前であるまいな」老人が睨みをきかせる。晴明と博雅の事であるが、博雅は「ハシリドコロをいただいてから、心がぼうっとなっており、なにがなにやら分かりません・・」と言った。

「ふうん」老人は唇を尖らせふっと土臭い息を吹きかけた。「ほう、これで飛ばぬのか・・」「良かったな三杯で。四杯飲んだら戻れぬところじゃ。わが息で飛ばぬのなら、いずれ一刻もすれば、魂はもどれようぞ」と言って老人の姿は消えた・・ 

とても幻想的に描かれている幽冥界入ってきて、このあたりのそれぞれのやり取り・・とても惹かれます。この世でもないあの世でもない妖しげな不思議な世界・・岡野玲子先生のコミック版陰陽師で見ると、とても面白いんです。土精のなまず髭の老人がとてもいい味出してくれています。

土精.jpg コミック版陰陽師の土精の老人

小説とコミックを読み比べていくと・・この妖しげな世界に引き込まれるような気持ちなります。現実とは異なる、ある意味すごく贅沢なお洒落な世界だと思います。

夢枕先生にしても岡野先生にしても、陰陽の話をよく研究されていると思います。夢枕先生は作家の方が集まった座談会の中で「私は勉強不足です」という発言を何回か目にしましたが、私はこの言葉に励まされます。俺も勉強しようという気にさせられます・・

小説「陰陽師」、夢枕獏先生はまだまだ描き続けるらしいです。「今昔物語」などにはまだまだ、陰陽師のエピソードがいくらでもあるそうです。私も「今昔物語」・・古典で陰陽師の話を読んでみようと思います。

今回は小説「陰陽師」初巻のエピソードでしたが、夢枕先生の小説「陰陽師」まだまだ描かれているので、また1冊づつでもゆっくりお話させてください。

今回、文章が少し長くなりました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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晴明と博雅・・いいですね・・・


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