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小説「陰陽師」① [安倍晴明と私]

皆さんこんにちは。

今回はこのブログもお蔭様で30記事目という事で、私の大好きな夢枕獏先生の小説「陰陽師」の話にしました。小説「陰陽師」は何回かに分けて書きたいと思うので、今回は初巻の話です。

陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)

陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)

  • 作者: 夢枕 獏
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1991/02
  • メディア: 文庫

私は小説「陰陽師」の晴明像が大好きです。安倍晴明は夢枕先生の小説から入った訳ではありませんが、私の安倍晴明に対するファーストインプレッションとほとんど一致しています。

奇妙な男の話をする。                                           たとえて言うなら、風に漂いながら、夜の虚空に浮く雲のような男の話だ。 闇に浮いた雲は、一瞬も一瞬後も、どれほどかたちを変えたようにも見えないが、見つめていれば、いつの間にかその姿を変えている。同じ雲であるはずなのに、その在様の捕らえどころがない。そんな男の話だ。 名は、安倍晴明。 陰陽師である。

小説「陰陽師」の冒頭であります。ここから安倍晴明の小説は始まります。

陰陽師1①.jpg

今回はこの初巻「陰陽師」についてのお話です。

安倍晴明・・星を見て、陰陽五行の理から世の中の森羅万象を読み解き、占術に長け、式神を使役し、呪術を以って、平安の鬼や物の怪など闇の恐怖から人々を救った陰陽師。その陰陽の術が他の陰陽師と比べてもすごかったので、「晴明は陰陽の達者なり」と言われたそうです。

また、陰陽の達者でありながら、容姿端麗、スマートでクールなスタンスを保ちながら、少しひねくれた人物像にも人々は気を惹きつけられるのではないでしょうか。晴明さんは少しひねくれていたにもかかわらず、さりげなく天才的な陰陽の術で平安の人々を闇の魔から救ったからこそ、約千年後の今日でもその魅力を熱く語り続けられているのだと私は思います。

10300856.jpg   映画「陰陽師」の安倍晴明

初巻は安倍晴明と源博雅の会話シーンが多いです。荒れ庭の晴明邸で、酒を飲みながらの会話が多いですが、特に晴明が博雅に呪(シュ)について、実直な博雅を煙にまくかのような晴明と博雅のやり取りがとても好きです。

博雅「俺をからかっているのか?」

晴明「からかっていると言えばからかっている、からかっていないと言えばからかっていない。」「呪とはそういうものだよ。」

こんな感じで、延々と話は続きます。二人の会話はとても面白い。

次々起こる都の怪異を情熱家で実直な博雅が持ちかけ、素直さが少しひねくれているかのような晴明が、クールなスタンスでこの会話のテンポで冗談交じりに陰陽の理で解明していく。

都の事件、怪異はこのふたりの会話の中で解決に向かいます。このふたりの会話に夢枕先生のすてきなセンスが感じられます。私はとてもお洒落だと思います。

歴史書には、安倍晴明と源博雅の関係は出てこず、夢枕先生のアレンジとの事です。

onmyoji_06.jpg    晴明と博雅(映画陰陽師)

初巻は「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」「梔子の女」「黒川主」「蟇」「鬼のみちゆき」「白比丘尼」の6編で、「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」「鬼のみちゆき」はNHKDモードドラマ「陰陽師」でドラマ化されており、またコミック版「陰陽師」では6編とも漫画化されています。また「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」の中で晴明が式神を使って蝦蟆を殺してくれるように試されたシーンもアレンジされていますが、映画「陰陽師」で出てきます。

NHK陰陽師⑤.jpg   NHKDモードドラマ陰陽師「玄象」、漢多太と玉草と晴明

陰陽師初巻で、私のお気に入りというか凄く惹かれる話は「蟇」です。応天門のあやかしを調べるため晴明と博雅は牛車に乗り、晴明の式の先導のもと、博雅が幽冥界と言っていましたが、この世から別の次元の世界へ牛車を走らせます。晴明が「方違えに似た事」と言う方法を何度も繰り返しながら・・己酉(つちのととり)から五日目・・天一神が方向を移る日にあたる・・その通り道を五度横切りながら・・そのうち誰ぞ見に来るかも知れぬと晴明は博雅に言います・・

「人ではない」「おそらく土(つち)の弟(と)だから土精(どせい)であろうな」晴明は続けます。「俺の姿は見えぬ、博雅は見えような」「俺の言う通りにとすればよい」・・ 「おそらく、博雅にこう訊くであろうよ。人である身が何故かような場所にいるのか」 「そう訊かれたら、こう答えればいい」「実は、先日来わたくしは辛気を病んでおりまして、よく効く薬はないかと知人にたずねておりましたところ、本日、辛気の虫に良く効くという薬草を知人からいいただきました。それが、ハシリドコロという草を干したもので、それを煎じて、これほどの碗に三杯ほどいただきました。その後は何やら心がどうにかなってしまったようで、ここでぼうっとしております・・そう答えるのだぞ」 「何を言われても、今の同じ事を繰り返すだけでよい」晴明が「言われた通りだぞ」と言ううちに白髪の老人の顔が牛車を覗く・・ 老人は土の精・・博雅に訊く「人である身が何故かような場所にいるのか」晴明の言った通りである。 博雅は晴明の言った事のまま伝えると、土精の老人は「ハシリドコロをな」「それで魂がかようなところで遊んでおるのか」 「ところで、お前天一神の通り道を今日五度ほど横切った者がおるのだが、よもやお前であるまいな」老人が睨みをきかせる。晴明と博雅の事であるが、博雅は「ハシリドコロをいただいてから、心がぼうっとなっており、なにがなにやら分かりません・・」と言った。

「ふうん」老人は唇を尖らせふっと土臭い息を吹きかけた。「ほう、これで飛ばぬのか・・」「良かったな三杯で。四杯飲んだら戻れぬところじゃ。わが息で飛ばぬのなら、いずれ一刻もすれば、魂はもどれようぞ」と言って老人の姿は消えた・・ 

とても幻想的に描かれている幽冥界入ってきて、このあたりのそれぞれのやり取り・・とても惹かれます。この世でもないあの世でもない妖しげな不思議な世界・・岡野玲子先生のコミック版陰陽師で見ると、とても面白いんです。土精のなまず髭の老人がとてもいい味出してくれています。

土精.jpg コミック版陰陽師の土精の老人

小説とコミックを読み比べていくと・・この妖しげな世界に引き込まれるような気持ちなります。現実とは異なる、ある意味すごく贅沢なお洒落な世界だと思います。

夢枕先生にしても岡野先生にしても、陰陽の話をよく研究されていると思います。夢枕先生は作家の方が集まった座談会の中で「私は勉強不足です」という発言を何回か目にしましたが、私はこの言葉に励まされます。俺も勉強しようという気にさせられます・・

小説「陰陽師」、夢枕獏先生はまだまだ描き続けるらしいです。「今昔物語」などにはまだまだ、陰陽師のエピソードがいくらでもあるそうです。私も「今昔物語」・・古典で陰陽師の話を読んでみようと思います。

今回は小説「陰陽師」初巻のエピソードでしたが、夢枕先生の小説「陰陽師」まだまだ描かれているので、また1冊づつでもゆっくりお話させてください。

今回、文章が少し長くなりました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

onmyoji_02.jpg

晴明と博雅・・いいですね・・・


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