安倍晴明について [安倍晴明と私]
みなさんこんにちは。
お待たせしました。今回は安倍晴明のお話です。
野村万斎が演じる安倍晴明
安倍晴明は皆さんもご存知の通り、平安時代の天皇に仕えた宮廷陰陽師です。
天武天皇が飛鳥時代設置した陰陽寮に所属していました。
京都、陰陽寮跡
安倍晴明は日本の陰陽道を大成した人でもあると言われています。
陰陽寮では実力のある陰陽師から、陰陽頭、陰陽博士、天文博士、暦博士、漏刻博士が選ばれ、晴明は天文博士でした。星を見て、天の兆しを読み、占いを行い、物事の吉凶を調べていたと推測されます。
晴明は陰陽師・・・陰陽道、陰陽五行説から世の中を見ていたに違いありません。私は陰陽五行説がとても好きです。宇宙を含む全てのものは陰と陽を含み、五行、木・火・土・金・水の5つのエレメントのいずれかに配当され、この陰陽五行説から晴明は世の中をみていた事と思われます。現在私は五行の配当について勉強中です。五行には五行相生、五行相剋、比和という関係が成り立っています。五行相生、五行相剋については、中国道教の陰陽五行思想(インヨウゴギョウシソウ)から来ています。
陰陽五行思想が日本に伝わり、日本の古神道と密教などの呪術的要素を取り入れ、日本の陰陽道(オンミョウドウ)は生まれました。陰陽は中国読みはインヨウですが、日本ではオンミョウと詠みます。陰陽道は起源は中国にありますが、日本独自の当時最新のテクノロジーでした。晴明はその陰陽道を身に付け、大成した平安時代の陰陽師という事です。
一般人の目には見えない式神を使役し、陰陽道の呪術を使いこなし、星から世の中の先を読み、占術に長け、呪詛を祓い、死んだ人を生き返らせるといわれる泰山府君祭等各種儀式をとり行い、平安時代、怨霊や鬼に怯える人々を数多く救っていたと伝えられています。
故に安倍晴明は天才陰陽師として人々の心の中に生き続け、死後多くの物語や歴史書やさまざまな伝承で語り継がれ、千年以上経った今も彼の魅力に惹かれる人々が多く、人気が絶えません。
晴明の死後すぐ時の一条天皇が晴明を神として祀れと命令し、京都晴明神社はできました。私は晴明神社が大好きです。
晴明の凄いところは、ものすごいレベルの陰陽の術をさらりとやってしまう事だと思います。クールなスタンスでさらりと陰陽の術を使う。本当の意味で陰陽道に精通していまないと到底出来るわけがなく、彼は陰陽五行説自体を体で覚えていたに違いありません。
頭の中では緻密な計算をしながら、表面上はクールなスタンス・・・とても惹かれます。
晴明は凄く感じやすい体質ではなかったかと思います。とても感じやすいから、式神も鬼も見えたし、世の中の変化の兆しも分かった・・・私はそう思います。
晴明が唯一残した「占事略決」は当時陰陽師が用いた占術、六壬神課のテキストです。晴明が50代後半の頃書いたとされていますが、天文博士として天文のエキスパートとして活躍した自分の専門分野の話ではなく、何故、占術の本を書いたのか興味深いところでもあります。
私なりの、安倍晴明の解説いかがだったでしょうか?
安倍晴明の子孫は土御門家を名乗り、晴明の死後、日本の陰陽道の第一線を継承していきますが、現在も残る「土御門神道」についても、今後私は調べていきたいと思います。
福井県おおい町(旧名田庄村)土御門神道本庁
お久しぶりです。。(^^)。。
我が町にも晴明塚があり、いろんなことで安倍晴明は関心をもたされてしまいます。。
全然、違う次元ですが面白い企画を考えていますので、その際はご協力くださいね。。
by 水郷楽人 (2008-05-28 21:27)
水郷さんコメントありがとうございます。
水郷さんの面白い企画楽しみです!
by Dear晴明 (2008-05-30 09:03)