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天社土御門神道本庁(その2) [陰陽道]

皆さんこんにちは。

今回も久しぶりの更新となってしまいました。


今回、土御門神道本庁の藤田庁長にまた、暦のお話をお伺いする事が出来ましたので、暦のお話をさせて頂きたいと思います。


安倍晴明天文観測.jpg



今回の土御門神道本庁と暦会館の訪問に際し、私には「暦の干支は、古代中国の皇帝が即位した時とか、いつを基準に始まったのか知りたい」という疑問があり、藤田庁長にお会いする事が出来れば、是非質問させて貰いたいと思っておりました。
運よく、また藤田庁長とお会いする事が出来、この質問させて頂きました。


藤田庁長は「殷の頃から、古代中国の帝が立つ時には、暦の年号を変えます。でも、古代中国のそれぞれの文献に書かれている年号、干支がつながる訳ではなく、整合性がない場合も多く、改暦改暦のつぎはぎの状態だったと言った方がいいと思います。」と言われ、また「日本では明治の改暦以後ではありますが、干支の整合性をとる為、神武天皇の即位の年(紀元前660年)を辛酉(かのととり)と逆算し、現在における旧暦の干支は計算し直して決められております。」と答えて頂きました。


その後、家で調べてみると、現在の中国の旧暦もたまたまなのか、日本の旧暦の干支と全く同じであるようなのですが、どういう繋がりでそうなったのか、私にはまた疑問が生まれましたが、岡田芳郎先生の旧暦読本に辛酉(かのととり)は「天(神)が命令を改め、王朝を建てる」ことを行うとされる中国の讖緯説という古代思想の中心的考え方をもとに神武天応即位の干支を逆算しているようなので、もともとの中国も同じ考え方で調整を行い、同じ干支になったという事なのでしょうか。
干支は占いの根拠となる事が多いと思われるので、その基準はすごく気になるところでありました。


藤田庁長はまた「渋川春海の貞享暦以前は昔の陰陽寮の暦も含めて、ほぼ中国の暦をそのまま採用してきたらしいのですが、その後、確かに数学的根拠を持って作られた渋川春海の貞享暦でさえ、新しい暦を作ったというよりは、古い暦に改良を加えたものといった方がいいのかも知れない。また、日本に合った新しい七十二候も作ったともされるが、これも猟師など自然に関わる人たちの話を集めた結果で、今まで有った知識を総動員して、それまでの暦を改善したという方がいいのかも知れませんね。」と言われ、「その後、明治の改暦で役人の給料を節約する為とも言われもしたらしいですが、暦は「グレゴリオ暦」という太陽暦となり、旧暦から新暦に変わったのです。」という事を言われました。


また、「暦に季節というが、これはその時の「気」ととらえる方がいいのです。「日」ととらえると「日」が積み重なり、溜まるばかりであります。季節はぐるぐる廻り、また同じところに戻ってくるもの。「気」ととらえる事で、暦は循環する事が出来るのです。五行に関しても、水を得て木が育ち、木から火が生じ、火は土を生む、土は金を産んで、金には水(滴)がつく。暦も五行の循環と同じだと考えた方が良いですよ。十二支についても、植物の成長過程にたとえて、種の状態の「子」から、紐のように芽を吹きだす「丑」・・・そして最後の「亥」は閉ざす(殻・種)の意味で、また種に戻ってくるという意味でもあります。」とおっしゃられ、暦とは生きるものすべてがぐるぐると循環するものであり、自然を観察する事で暦は出来たという事を教えて頂きました。




また、次に「太一は宇宙の中心、天の北極、北極星、この周りを北斗七星が廻り、その外側には二十八宿があり、その間には神様が働いている。」と天の話もして頂きました。


北極星北斗七星.jpg



これはその後の私の蛇足的想像ですが、平安時代に思いをはせると、夜の平安京、朱雀大路から北極星を見ると北斗七星がその周りを廻り、北極星の下には内裏、北極星の下には天皇が常にいたんだと感慨深い思いが起こりました。


私がその藤田庁長の話に「まるで六壬占の式盤みたいですね」と返すと、「そうかも知れません。占いは地軸が傾き、地球が自転しており、その位置関係から、相対的に決まる相関関係によって導かれるものでありますが、占いはあくまでも統計学です。占いの根拠である暦が改暦改暦の不変のものでありませんでしたから、その誤差分も考慮に入れておかないと本当の占いは出来ませんし、もっと不確実ないろんな要素を考慮に入れ、経験的な部分で補いながら、完成していったのではないでしょうか。」とおっしゃられ、私が思っていたような「暦」と「天地から中国古代人が読み取った陰陽、五行からなる占いの原理」と「占いの結果」は理論的にシンプルな結果にまとまるのではないかという私の考えには収まらず、「占いは経験論的な統計学の世界になりますよ。」と教えて頂きました。

300px-Chokuban_svg.png




そうなのですね。占いは天地の理でなく、統計学なのですね。私の理想も変えた方がいいのかもですね。


あと、具注暦については、「大唐陰陽書などのテキストを100種類ぐらいは読んでおくべきでしょう。」と藤田庁長は言われ、土御門暦の造暦者恐るべしと思いました。

また、「私のお世話になっている中国人の大学教授の先生が、中国に陰陽道はないと言われています。」と私が言ったら、「そうですね。陰陽道は日本で出来た言葉ではないでしょうか。」と答えて頂きました。

最後に、1つ印象的だった話があるのですが、藤田庁長が「安倍晴明は陰陽博士でした。」と言われた事です。私は「安倍晴明は天文博士ではないのですか?」と聞き直しましたが、「いいえ。陰陽博士です。」と言われました。土御門暦の冒頭にも、確かに安倍晴明が陰陽博士である事が書いてありました。私は安倍晴明が陰陽博士ではなく、天文博士であるとずっと思っており、晴明さんの専門の天文だと天文分野にも思いを馳せてきたので、正直少しショックでした。でも、陰陽博士の安倍晴明は何でか分からないけれど、しっくりくるなと感じる私もここにいると思います。

その後、いろいろな方々から安倍晴明は史実天文博士である事のご指摘を受け、ブログの内容を確認した方がいいのではとのアドバイスもお受けしました。
私は確かに陰陽博士である安倍晴明に魅力を感じます。
でも、私は史実であるといわれる天文博士としての安倍晴明を調べていく方針も貫いていけたらとも思っております。


安倍晴明像.jpg




今回また、運よく土御門神道本庁の藤田庁長にお会い出来、有り難い話をたくさんして頂いたのですが、藤田庁長ももうご高齢という事で、いつまでもお元気でおられて欲しいという事を願うとともに、今回もお会い出来、ありがたいお話を頂いた事に対して感謝いたします。


土御門神道と暦会館の訪問、今回も得るものが大きかったです。

藤田庁長、本当にありがとうございました。











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