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現代の陰陽師! [陰陽道]

とうとう見つけました。    I’m very happy so much!

現代に生きる陰陽師・高橋圭也先生です。現在、陰陽道北斗派第三代宗家、明階神職という事らしいです。

明治時代、陰陽師が廃止され、現代には陰陽師はもういないと思っていた私は意外な所から高橋圭也先生を見つけました。私は語学勉強の為、レンタル屋には足しげく通っていますが、要はいい英語ドラマを探しているわけですが、レンタルショップGEOのモバイル会員になっていた事がラッキーを運んでくれました。GEOからのお知らせメールに高橋先生の監修する占いサイト「幻の陰陽師占い~開運・厄除」のアドレスが有り、アクセスすると、そこには私が求めていた陰陽道の知識、占いが私の求める形で、提供されていました。月315円で、サイト内使い放題という事で、願っても無い事でした。

そこには、私の求めていた六壬占い、易占い、霊符、それにおまけ、中国道教の本に出ていた、ポエ占い等・・・ 私にとっては完璧なレベルでの占いサイトでした。この監修者はスゴイそう思いました。監修者の解説には私の大好きな映画「陰陽師」「陰陽師Ⅱ」の陰陽道指導を行なっていた本人である事が分かり、ますます満足感に浸れました。この人に陰陽道を学びたい。私はそう思いました。

高橋圭也先生をWEBで調べたところ、陰陽道の本を出している事が分かり、すぐ購入しました。これが、「現代・陰陽師入門 プロが教える陰陽道」でした。

現代・陰陽師入門―プロが教える陰陽道

現代・陰陽師入門―プロが教える陰陽道

  • 作者: 高橋 圭也
  • 出版社/メーカー: 朝日ソノラマ
  • 発売日: 2000/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

本の内容は、今までの陰陽道の解説本とは違い、現役陰陽師という事で、陰陽道がより実践的なスタンスで、陰陽道が解説してありました。先生のスタンスは陰陽師は陰陽道の枠にとらわれずというか、修験道、神道、密教、そして中国の道教、易、風水、天文学、医学・・・政治経済にいたるまで、全てにおいて、精通していないと陰陽師として務まらないという事で、私の持っている考え方と相通じるところがありました。

先生の解説には正直ついていけませんでした。というのはとても内容が濃かったからです。陰陽道その他の知識は日本、そして中国の古文書から引用しており、他の解説書では語られていない専門知識がたくさんありました。やはり、陰陽道を実践するという事は、並大抵では務まらなという事でしょう。漢文、日本の古文を読み解く知識や能力、昔の占いを身に付ける為の現代の占いの知識や能力、中国の文献を調べられる能力も陰陽師には要求されるのでしょうか。

個人事ですが、私は陰陽道とは関係のない技術職として仕事をしています。陰陽道に関しては、素人です。でも、将来的に土木の仕事を定年退職した後、陰陽道を本当の意味で身に付けた神職になりたいと思っています。実のところ、私の大好きな京都晴明神社で、神職として働きたいのです。晴明神社では、京都で、陰陽道に基づいた占いを行い、赤ちゃんの名前を考えてあげたり、人生の相談事に応えていると聞きます。本当の意味で、陰陽道を身に付けていないと、務まらない仕事だと思います。

 

定年退職後は、國學院大学文学部の神道学科で、神道と陰陽道を勉強し、神職の資格も取りたいと思っています。今の時点で、これは私の夢であり、目標です。余談ですが、私は幸か不幸か私は生れ付きか、神様や幽霊が見え、話が出来ます。それぞれの神様の話はとてもシンプルで、センスがいい。言った通りの事になります。当然、私の大好きな安倍晴明とも話した事があり、ファーストコンタクトで、晴明さんは私に「易を勉強して欲しい」と言いました。その頃は「易」が何なのか知りませんでしたので、陰陽道はこの「易」を調べる為の入り口でもありました。でも、調べているうち陰陽道にはまってしまいました。

全ての事象を陰陽道を持って説明できる。この事は技術職である私の好みにもピッタリ当てはまっています。陰陽道はテクノロジーであるという事です。

高橋先生は安倍晴明については、少し否定的な記述をしていました。彼の超人的な霊力は彼の死後、彼を神格化しなければいけない理由があったから、後付されたという事です。私としては、彼のイメージは夢枕先生の描いている、凄い才能、緻密な分析をしながら表面上はクール、内はスマートでホット、風雲気ままな晴明像に賛成です。彼はとても魅力的です。老子を読んだ事は以前ブログにしましたが、安倍晴明は老子のいう「道-タオ」を潜在的に身に付けていたのではないかと思います。

 

「タオ」が根本にあるから、何事が起こってもぶれない。クールなスタンスを保てる。逆にクールなスタンスを持っていないと、超人的な能力を発揮出来ない。これが晴明の根本であると思っています。晴明にとっては特に超人的なつもりは何もない、取り巻きがそう思っただけの事。私はそう思います。高橋先生に反論する気は全然ありませんが、そこだけは気になりました。

でも、はっきり言って「高橋先生には弟子入りをお願いしたい。」そう思いました。でも、陰陽道は秘術で、一世一人伝授という先生のスタンス。また、並大抵の努力では先生に追いつかない事も承知の上、何らかの方法で、先生にご教授願えないだろうかと言うのが本音です。平成の今、陰陽道で高橋先生以上の先生は見つからないだろうなと思っています。

高橋先生は陰陽道の占いPCサイト「幻の陰陽師占い」も監修しており、そちらの方も私は会員登録しております。月525円で使い放題という事でした。私は特に、六壬占いと易占いの知識が欲しいのです。陰陽道での占いは以前、私の晴明的生活のページで、紹介しましたが、いまも式神カードで続けています。占いの実践練習という事で、勉強させて貰っています。今後、安倍晴明が残した占い書「占事略決」で解説されている六壬神課にステップアップしていく予定です。晴明が行っていた占いを勉強したいのです。

今後は「易」と「陰陽五行の配当」「六壬神課」の方面を勉強していきたいと思っています。「六壬神課」については、現在、松岡秀達先生の「占事略決」の解説本で勉強中ですが、悪戦苦闘しています。陰陽道は難しいです。でも、凄く魅力を感じます。

安倍晴明「占事略决」詳解 CD-ROM付

  • 作者: 松岡 秀達
  • 出版社/メーカー: 岩田書院
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本

高橋先生は暦についても詳しく解説されており、私の暦に対する姿勢も変わりました。現在はグレゴリオ暦(太陽暦)が使われていますが、旧暦は太陽太陰暦といって、月の満ち欠けと地球の公転周期を両方加味して、地球と月の公転周期から暦を作っていたそうです。当時、日食、月食も地球と月の公転周期から計算して予測していたと言う事です。なかなか凄い話でした。暦については、長崎市立図書館で、面白い本を見つけました。
天文方と陰陽道 (日本史リブレット)

天文方と陰陽道 (日本史リブレット)

  • 作者: 林 淳
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2006/08
  • メディア: 単行本
東京大学文学部宗教学科卒業の林淳先生の著書です。暦についていい勉強させて頂きました。
また、五行と易の分野では、これもまたいい本に出会いました。
陰陽五行と日本の文化―宇宙の法則で秘められた謎を解く

陰陽五行と日本の文化―宇宙の法則で秘められた謎を解く

  • 作者: 吉野 裕子
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 単行本

吉野裕子先生です。吉野先生は現在、私が勉強中の五行の配当と易の話を茶道、庭園、音楽、祭り、和歌などとても文化的な話題から解説してくれており、とても私は嬉しく思っています。吉野先生もまた、日本文化は陰陽五行説からそのほとんどが来ている事を解説しています。

吉野先生は陰陽五行について、たくさんの著書を出しており、今後、たくさん勉強させて頂こうと私は思っています。楽しみが増えました。

話がそれてしまいましたが、高橋圭也先生が基で、いい先生の著書に恵まれてきました。

高橋先生は音楽CDも監修されているという事で、早速アマゾンで購入しました。

陰陽之占楽~安倍晴明占術と雅楽

陰陽之占楽~安倍晴明占術と雅楽

  • アーティスト: 伶楽舎
  • 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 2002/11/21
  • メディア: CD
平安時代の雰囲気が良く伝わってきます。雅楽のヒーリングミュージックという事でしたが、私はあまり、ヒーリングミュージックは好きではないので、聴いた感想は「うーん難しい」といったところです。
でも、平安時代、雅楽に欠かせない龍笛(横笛)を買って、平安時代のミュージック、源博雅がやっていた雅楽にも挑戦してみようと思いました。
最後に、最近、陰陽道に限らず、全ての書物でお世話になっている長崎市立図書館を紹介します。
  長崎市立図書館エントランスロビー
今年、2008年1月5日オープンのこの図書館はおしゃれです。
蔵書がとても多く、いろんな分野のいい本が見つかります。センス良く本を揃えているようです。
新しい楽しみが増えました。


陰陽師ロード [陰陽道]

今回は荒俣宏氏著書「陰陽師ロード」と「陰陽師-安倍晴明の末裔たち」の感想です。 

荒俣先生は、安倍晴明、平安陰陽道については、岡野玲子先生の「陰陽師」で解説済みなので、その外側、安倍晴明の子孫や高知県物部村のいざなぎ流等、陰陽道に関係して、現代に残る話を紹介していこうというスタンスでこれらの本を書かれたようです。

 

 

natashou.jpg 安倍晴明の子孫、土御門家の本家、「土御門神道本庁」

 

 

山の神の大シバつなぎ.jpg 高知県物部村に残る陰陽道の民間伝承「いざなぎ流」の祭具

 

陰陽師ロード――安倍晴明名所案内

陰陽師ロード――安倍晴明名所案内

  • 作者: 荒俣 宏
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2001/09/25
  • メディア: 単行本
陰陽師―安倍晴明の末裔たち (集英社新書)

陰陽師―安倍晴明の末裔たち (集英社新書)

  • 作者: 荒俣 宏
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12
  • メディア: 新書

 

全国各地に残る安倍晴明と陰陽道の足跡、当時から現在に至るまでの陰陽道のあり方、密教と修験道との関わり、暦を作る為の天文観測の話。いろんな切り口、当時の状況を他の陰陽道の解説本と違った視点で解説してありました。

また、安倍晴明のライバルだったとされる蘆屋道満についても、播磨になぜ民間陰陽師が多かったのか、法師陰陽師についても解説がありました。

蘆屋道満像.jpg    蘆屋道満像

また、晴明の子孫の土御門家の歴史についても様々な解説があり、土御門家が陰陽道を統括する為にはそうとうの苦労があったようです。

四色鳥居.jpg  福井県名主庄、土御門神道本庁ある4色鳥居

謎が多い、安倍晴明の出生地は様々な説があるらしいですが、①大阪説②讃岐説③茨城説が有名で、①大阪説③茨城説についての解説がありました。特に関東には、土御門家の陰陽師が進出していた事実があり、今まで知らなかった事実を確認出来ました。

私は安倍晴明の出生地は②讃岐説だと思っています。讃岐の歴史書の中に晴明の出生の話が出てくるらしいですが、真言密教の開祖「弘法大師・空海」の出生地でもあります。見えない力を大事にする土地柄ではないかと思っています。今年の夏、四国旅行を計画している私ですが、讃岐に行って調べてみようと思っています。

善通寺.jpg

讃岐の善通寺。空海の出生地で有名。安倍晴明も讃岐に行った時、門前を通り、晴明の式神が空海を恐れたともいわれています。

陰陽道において、現代でも呪術を行っているのは、以前のブログで紹介した高橋圭也先生その他の現代の陰陽師、晴明の子孫の土御門神道、そして荒俣先生が紹介しているいざなぎ流です。私の確認出来た範囲ですが・・・

そのいざなぎ流についてですが、高知県物部村、未だ開発の手の及ばない自然に囲まれた土地らしいですが、この地に陰陽道の呪術の民間伝承が受け継がれているそうです。

物部村.jpg   高知県物部村

その昔、修験道の聖地、三重県熊野の荘園だったそうですが、どういうルートで陰陽道が伝わっていったのでしょうか。どのように現代までその伝承が残ったのでしょうか。とても興味深いです。

那智大社別宮.jpg  三重県熊野の那智の滝

いざなぎ流の祭事や、神様をかたどった紙幣のクラフト講座等は最近都会の方で行われているらしいです。参加してみたいものです。

いざなぎ流祭儀.jpg  東京で行われた、いざなぎ流祭事のワークショップ


陰陽道民間伝承・いざなぎ流 [陰陽道]

皆さんこんにちは!

今年2008年7月20日四国高知県香美市物部町にいざなぎ流太夫に、いざなぎ流についてお話を聞きに行ってきました!

いざなぎ流は国の重要無形文化財という事らしいです。

物部町玄関口.jpg

香美市奥物部の玄関口に架かるトラス型の橋です。自然に囲まれたとてもすばらしい町並みでした。

物部町地図.jpg

香美市教育委員会の方からご紹介頂いたいざなぎ流太夫、森安正芳さんのお宅に早速お邪させて頂きました。上の写真は物部町の地区の水墨画風の地図です。森安さんのお部屋に貼ってあったのを撮らせて頂きました。

これは上にろう地区の地図だそうで、いざなぎ流はおんざき様と云われる神様を祀るらしいですが、この地区のいざなぎ流太夫の方々は不動明王を守り神に活動されているそうです。

物部町風景①.jpg

不動明王を守り神にしている上にろう地区の麓。

また、別の牧山地区は別のやり方をされているそうです。

 物部町風景③.jpg

牧山地区の麓。

私が訪ねた、森安太夫は身内に最近不幸があり、1年間は神様に関する事、いざなぎ流の実践は出来ないという事で、いざなぎ流についてたくさんの質問をさせて貰ったら、熱心にご回答頂きました。

まず、臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の九字のきり方、印の結び方を教えて頂きました!

まず九字は横(臨)・縦(兵)・横(闘)・縦(者)・横(皆)・縦(陣)・横(列)・縦(在)・横(前)だそうです。

九字.jpg

次に、臨(普賢三眛耶印)・兵(大金剛輪印)・闘(外獅子印)・者(内獅子印)・皆(外縛印)・陣(内縛印)・列(智拳印)・在(日輪印)・前(隠形印)の印の結び方を教えて頂きました。

印.JPG   闘(外獅子印)

次に真言=マントラ・・「アビラウンケンソアカ」とは大日如来の自分を守るマントラで、大事だと教えて頂きました。

暦は高島易を見ている…歳徳神の方向、金神の方向、特に金神の力は強力だけに凶の方角に注意しているとの事でした!私が「金神は凶神ですか」と尋ねると、「金神は悪いわけでなくパワーがある神だ」と答えて頂きました。

種まき等の農作業の時期も暦を見て、暦どおり行っていると言われていました。

暦は大事だぞと安森太夫は言われました。

「俺らは何とか天を使うんぞ」森安太夫は言われました。

神様の段階は如来・菩薩・明王・天とランクがあり、太夫らは天、毘沙門天などの天にお願いして、実際動いて働いて貰うと言われていました。

「俺らがやっている事は神様の事ぞ」神様も山の神様、川の神様・・自然には神様が宿り、神様にお願い事をする・・常にいざなぎ流には神様の事を行っているとの事でした。

「最近は世の中が平和になっていいけど、昔は悪いやつが多くて俺らも呪術で対抗して、いろんな事やったな・・」

「生霊て知ってるか?」「ヘビやミミズを虐めて、虐めぬいて殺したヘビやミミズの力が強い。この強い力をいい事に使うんや」・・とても残酷な事をするなと私は思い、この生霊の使役については私は閉口します。あってはならない事だと思います。

「でも悪い事はしたらいかんで・・子孫は八代、親類縁者にまでに災いが及ぶ」だからとても気を付ける必要があると森安太夫は念押されました。はっきり言って怖い事です。

「今頃は来んが、ブームの頃はよう人が来たな」「最近は珍しいぞ・・」来た人の中には安倍晴明の研究家である斎藤英喜先生の名前もありました。

安倍晴明―陰陽の達者なり (ミネルヴァ日本評伝選)

安倍晴明―陰陽の達者なり (ミネルヴァ日本評伝選)

  • 作者: 斎藤 英喜
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2004/10
  • メディア: 単行本

・今までの安倍晴明解説本の中で一番良かったのがこの本です。

私はこの斎藤英喜先生著書のいざなぎ流解説本「呪術探求いざなぎ流式王子」でいざなぎ流を予習したので、先生の名前が出て嬉しかったです。

式王子.jpg 

呪術探究 いざなぎ流 式王子

  • 作者: 斎藤 英喜
  • 出版社/メーカー: 新紀元社
  • 発売日: 2000/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

安倍晴明ら陰陽師は星空に不穏な兆しを読み、陰陽の術を駆使していた訳ですが、いざなぎ流には星をみる事はしていないと言う事でした。

また、安倍晴明をどう思うか森安太夫に尋ねてみると、「安倍晴明は神様に近い存在だと思う」とおっしゃり、「京都では実際晴明神社の神様ですからね」と私が続けました。

いざなぎ流は陰陽師とは違うスタンスのようでした。

また、いざなぎ流は「昔、物部は修験道の聖地、熊野の荘園だったと聞きましたが、修験道がルーツですか?」という私の問いに、森安太夫は「いざなぎ流の祭文は京都弁だ。京都がルーツなんじゃないかな」とご回答頂きました。

森安太夫との会話の時間は私のとってとても楽しいものになりました。

森安正芳太夫貴重なお話をありがとうございました!

最後に奥物部の風景写真を載せます。とても自然が美しい町でした。

物部町風景②.jpg

自然が豊かなこの地は、神様が自然の中に息づいている・・宮崎駿映画の舞台にでも選ばれそうなそんな空気を感じる町でもありました。


福井県おおい町 暦会館 [陰陽道]

皆さんこんにちは。

久しぶりの更新となりました。

今回は2009年の9月のシルバーウィークに福井県おおい町の暦会館に行った話です。

暦会館は安倍晴明の子孫、土御門家と暦の資料を展示した、安倍晴明、陰陽道ファンにはとてもありがたい場所です。

暦会館の藤田館長はれっきとした土御門家関係の子孫であり、土御門神道本庁の庁長さんでもあります。

暦会館.jpg

暦会館は初め、土御門家や暦の倉庫として計画されたらしいのですが、せっかくならば貴重な資料を、たくさんの人に見て貰おうと今の暦会館となったらしいです。

藤田館長は土御門神道本庁で、今も全国の有名寺社の暦を作っておられます。その館長が開いている暦会館。とても有り難い施設だと思います。

現代は、国立天文台から発表される、天文データを下に造暦されるらしく、昔のように天文観測をして、暦を作っていた話からすると、やはり時代は違うようでした。

天球儀.jpg

一番興味深い展示品だったのは渾天儀です。

中国流の天文観測儀器で、当時はもっと大きな物で、人が中に入って天文観測を行ったそうです。

3つの円盤の組み合わせからなり、これは地平環(地平に置かれた環)、天背環(子午線内に置かれた環)、赤道環(天の赤道内に置かれた環)である。中に入った人間が天体の天球上の位置を角度で読み取る事が出来るようになっているとの事でした。

月食.jpg

これは実際1798年江戸時代の月食の観測記録です。さっきの渾天儀を使って観測されたものでしょうか・・

その他にも、同月食前日の木星と月の観測記録も展示されていました。

月.jpg

月は28日周期で、満ち欠けを繰り返しているらしいのですが、分かりやすく図解されていました。

昔の暦.jpg

幕末頃から始まったとされる、略歴。明治時代、家屋の柱や壁などに貼られ、現在のカレンダーに発展してきたらしいです。

あと、時を計る漏刻計。

漏刻計.jpg

これは、遺跡で見つかった漏刻計の資料に基づいて製作された復元模型であるらしいが、最上段の「夜天地」から「日天地」、「平壷」、「萬分壷」、「水海」へとサイホンの原理で銅管より定量の水を落とし、「水海」の浮子(フロート)の鍚杖目盛により時刻を読み取る装置らしいです。

土御門神道本庁にある安倍晴明公画像のレプリカも展示されていました。

安倍晴明像.jpg

また近いうち、暦の勉強の為、この資料館をまた訪れたい。そう思いました。

何故か暦会館の入り口には、葛の葉姫の詩が・・・

葛の葉姫の碑.jpg

また訪れたい場所が増えました。


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天社土御門神道本庁 [陰陽道]

 

皆さんこんにちは。

お久しぶりの更新となりました。

今回は安倍晴明の子孫である土御門家の天社土御門神道本庁へ行って来ました。

土御門神道本庁.jpg 

 土御門本庁は前回登場の暦会館と同じ福井県大飯郡おおい町名田庄にあります。

前回の記事、福島県おおい町暦会館へは昨年の9月に行って来たのですが、実は昨年同時に、土御門神道本庁も訪問し、土御門家の藤田庁長にお話しをお伺いしていたのですが、藤田庁長の話しの内容がとても濃く、私の中で消化しきれていなかった理由から、ブログの更新が出来ずにいました。今年の9月にまた土御門神道本庁へおじゃまして、今年も運良く、土御門家の子孫である藤田庁長にまたまたお話を聞かせて貰って来ました。

昨年は暦の話、土御門家の歴史、安倍晴明の話、土御門家の今後、陰陽道の話、暦会館の建設苦労話など、幅広く、濃く、お話をお伺いして来ていたのですが、容易にはブログに出来ず、今年もう一度、藤田庁長にお話を伺う事が出来、やっとこの記事の更新にこぎ着けました。

安倍晴明肖像.jpg

今年の話は、安倍晴明の肖像画にある式神がペルシャの方の顔立ちをしているという話しから始まりました。

土御門家、大元の安倍家は、技術を持った渡来人の血が入った、外国の影響を多分に受けた血筋だと、藤田庁長は言われました。

晴明公が使い出した五芒星は西洋ではペンタグラムと呼ばれていますが、これは晴明公が編み出したというより、安倍家が外国の文明に通じていた証拠のひとつである。ペンタグラムはもともと西洋の方で編み出され、海を経て日本にもたらされ、この海の航海技術に通じていたのが、安倍家の家系であった。安倍家の家系は航海技術にも通じていた。藤田庁長は言われました。

蝦夷征伐、朝鮮百済の国の援軍の大将として、水軍を率いた阿倍比羅夫にしてしかりだと、藤田庁長は言われ、安倍氏氏が水軍を率いるという事は、当然、航海術にも通じ、海を通していろいろな外国の技術にも精通していたのではないかという事でした。

土御門家は後に天文道、暦道をも受け継ぐ事になるのですが、この天文観測の技術も外国からのもの、先ほどのペルシャ、メソポタミアの文明に端を発しておりますが、この技術にしても使いこなす為には、やはり西洋文明が見え隠れするようです。

北極星.jpg

安倍晴明の出生が未だ良く分からないのは、晴明のお母さんが外国の人だったからなどの話も飛び出しました。摂津の阿倍野に所領を持っていた、安倍の一族が、先ほどの百済の国から逃れてきた一族のお姫様が安倍晴明のお母さんであるから、どうしても表に出せなかった。安倍家は晴明公から吉志舞を奉納するようになったのだそうですが、この謎の多いお母さんの話は、吉志舞を舞っていた吉志一族の話だそうですが、このような表に出せない秘密があったから、晴明の出生は謎に満ちた話として語り継がれたのではないかという話も聞かせて貰いました。

また少し話はさかのぼります。安倍家の初まりは、8代目の孝元天皇らしいのですが、安倍姓を名乗ったのは、大化の改新の頃、左大臣として天皇に仕えていた、安倍倉梯麻呂で、その後、竹取物語の実在人物の安倍御主人、そして唐に渡り、大切な書物を吉備真備に託し、本人は唐から日本には帰れずじまいだった、安倍仲麻呂公。実はこの安倍仲麻呂と吉備真備の出会いこそが、日本の陰陽道の2大宗家の安倍家と賀茂家の序説であったらしいのです。安倍家の先祖である仲麻呂公が唐で獲得した陰陽道の秘書を吉備真備に託した訳ですが、吉備真備は賀茂家の祖先で、賀茂家に伝えられた陰陽道の秘術を、安倍家に受け継ぐにふさわしい人物が現れた時には、安倍家に伝授し、仲麿公の恩をかえす。安倍晴明は賀茂忠行、保憲父子に陰陽道の秘術を余すところなく学んだ訳ですが、この事で実現されたとの事で、なかなか奥深い話しでした。

 

土御門神前.jpg

天社土御門神道本庁の神前ですが、晴明公の坐像が前の方に出てきていましたが、土御門神道本庁の主祭神は安倍倉橋梯麻呂公だそうです(中央)。右側に泰山府君が控え、左側に安倍晴明公が控えておられるそうです。

また、晴明公は天皇家の料理長である大膳大夫も父に継いで、勤めていますが、これも安倍家があらゆる技術面で優れていた証拠であり、特に大膳大夫は漢方の知識も必要だそうで、安倍晴明は漢方の知識にも精通しており、中国の古典で、中国伝統医学の根本をなす書物「黄帝内経」などにも、当然精通していたのではないかと、藤田庁長は語られました。

黄帝内経素問 上巻―現代語訳

黄帝内経素問 上巻―現代語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 東洋学術出版社
  • 発売日: 1991/11
  • メディア: 単行本

 

明治初頭、明治新政府は陰陽道の宗家、土御門家に頭をさげ、陰陽道と作暦をやめてくださいと言ってきたそうです。代わりに土御門家の当主に天文技術の最高教育機関の長官になって貰えないかと言ってきたそうですが、当時の土御門家当主は6歳で、長官の話は断ったそうです。事実上、日本の陰陽道はこの時廃止されはしたが、現代の日本においても、知られていないだけで、陰陽道は日本文化の全てと関係しており、日本の年中行事はほとんどが陰陽道に由来している事を日本人は忘れかけている。陰陽道の廃止以前、日本は緻密に陰陽道で出来ていたとの事。明治政府は西洋諸国に負けない国家を目指す為、陰陽道を廃止し、西洋文明を西洋の最先端技術を取り入れ、躍進的な発展を遂げていくのだが、ここでの目覚しい発展が出来たのは、陰陽道で基礎が固められた、日本人の底力があったからだと藤田庁長は熱く語られました。

4色鳥居.jpg

 

藤田庁長に、今後の私の勉強の為に、陰陽五行と易とはどのように結びついているのですかと質問したのですが、「陰陽は易(占いの総称)と表裏一体で、五行が後から、加わったと考える方が良いでしょう」と答えて頂きました。暦についても質問したのですが、やはり造暦されているからと言うより、土御門の陰陽道のレベルがいかほどに高いかを感じさせられる程、分かりやすく、鋭く答えを頂けました。土御門恐るべしといった感想です。

藤田庁長は月の満ち欠けと、潮の満ち引きがある以上、世界の暦はまた旧暦、太陽太陰暦に戻るのではないかとおっしゃられていました。私も本当に同感します。太陽に加え、月と潮は私達の生活の中に、切っては切れなくなってくる。重要性が増してくると思います。

 

藤田庁長、本当に貴重な話ありがとうございました。

 

 

藤田庁長は最後に、「来月1日に岡野玲子さんがここに話を聞きにくるらしいです。」とおっしゃられていましたが、岡野玲子さんの漫画「陰陽師」のストーリに出てくる舞台「瓜割の滝」と「鵜の瀬」は偶然か、土御門神道本庁のある名田庄からは、比較的遠くない所にあります。車で30、40分といったところでしょうか。

瓜割りの滝.jpg

瓜割の滝です。今では意外と観光客に有名なようでした。

 

鵜の瀬.jpg

 

こちらは鵜の瀬です。ここの水は何かしら気分を落ち着かせてくれる何かがあるようでした。

 

土御門家、天文、暦、安倍晴明、陰陽師、水の流れ ・・・ なかなか感慨深いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 


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陰陽道家 高橋圭也先生 [陰陽道]

皆さんこんにちは。

今回も久しぶりの更新となってしまいました。

今回は以前、「現代の陰陽師!」のブログページで紹介させて貰った、映画「陰陽師」の陰陽道指導等で有名な陰陽道家の高橋圭也先生と、幸運にも東京でお会いするきっかけがありましたので、今回のブログは高橋先生の話です。

高橋先生は天社土御門神道系の流れをくむ陰陽道北斗派第三代宗家陰陽師ということらしいのですが、明治5年の陰陽師廃止以来、陰陽師という仕事は現代にないという事で、陰陽道家を名乗っていらっしゃるそうですが、現代において生きた陰陽道を身に着けていらっしゃる数少ない方のひとりであると思っております。

300px-Chokuban_svg.png

高橋先生は陰陽道の陰陽は陰陽五行説ではなく、「六壬式占(=陰陽{ウラ})」という意味であるとTwitter等で主張される事が多いのですが、 土御門神道の藤田庁長のところで、私が陰陽五行と易とはどのように結びついているのですかと藤田庁長に質問した時、「陰陽は易(占いの総称)と表裏一体で、五行が後から、加わったと考える方が良いでしょう」と藤田庁長から答えを頂いた事とだぶるみたいですが、陰陽とは占いの事なのか私には未だにその事がいまいち理解出来ていないようです。

高橋先生には陰陽道を理解するにはまず占いをひとつでもいいので、深く掘り下げ、それを極める事が一番確実で逆に近道である事を教えて貰いました。ひとつ極める事で、ある時、期が満ちれば全てが分かるようになりますよと教えて頂きました。ひとつでもいい。何の占いがいいか。私はやはり占事略決の六壬式占を理解したい。そう思いました。でも占いは悪い結果が出ても、決めるのは自分自身ですよと念を押されました。占いは当たって7割だと。天才陰陽師と称された安倍泰親の言葉と同じですね。

高橋先生に会って最初の印象はカッコいい方だなと思いました。ひとつの事を極めた人に感じる余裕というか、雰囲気を持ち、知的な感じでした。それ以上にやさしい人だなと思いました。私のブログも以前から見て貰っていたようで、「藤田先生の記事以降最近1、2年更新してませんでしたよね」と言われ、更新出来ていなかった事は置いておく事にして、正直嬉しかったです。

交友関係も少し話されていましたが、私がこのブログでもアタックしてきた土御門神道をはじめ、陰陽道関係者の有名どころの方々と交友関係があるみたいで、その話から私の手さぐりで探し続けている陰陽道への道筋の方も運よく最短コースに近いのではないかという事も確認出来たのではないかと思います。その事は今回の大きな収穫であると思います。

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ひとつ今回、私が忘れていたのですが、高橋先生と会えた事に関してひとつ心残りなのは、今回、星の見方について少しでもお話を聞いておけば良かったなと思いました。高橋先生の星の見方が知りたい。そう思います。

高橋先生は瑞星庵という公式サイトを持たれていますが、現在Twitterと連動して瑞星庵のコラムの方でも、陰陽道の話またはその他最新情報を話されています。先生のありがたい情報は貴重だと思います。瑞星庵の会員のみみたいですが、占いの授業の生徒も募集されています。本当に有難い話です。

最近の高橋先生の最新情報としては、今年のNHK大河ドラマ「平清盛」第1回放送で、高橋先生が陰陽道指導した陰陽師の登場した事でしょうか。

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登場した陰陽師は残念ながら、少しの出番であったようですが、最近はテレビ、映画ともに陰陽師の出番は増えつつあるようなので、今後に期待したいと思います。高橋先生指導の陰陽師の登場は本当に待ち遠しい限りです。

高橋圭也先生には、今後も日本の陰陽、陰陽道をリードする方であり続けて欲しいと思いますし、今後のご活躍にも本当に期待しております。高橋先生ありがとうございました。

最後に、たまたまですが、今夜は旧暦で一年で最後の満月の夜です。

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これから月が欠けていき、新月になった時、旧暦では今年の1月1日です。

旧暦では壬辰、新年の幕開けです。

いい一年が始まって欲しい、いい一年でありますように。

そう願ってやみません。 


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天社土御門神道本庁(その2) [陰陽道]

皆さんこんにちは。

今回も久しぶりの更新となってしまいました。


今回、土御門神道本庁の藤田庁長にまた、暦のお話をお伺いする事が出来ましたので、暦のお話をさせて頂きたいと思います。


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今回の土御門神道本庁と暦会館の訪問に際し、私には「暦の干支は、古代中国の皇帝が即位した時とか、いつを基準に始まったのか知りたい」という疑問があり、藤田庁長にお会いする事が出来れば、是非質問させて貰いたいと思っておりました。
運よく、また藤田庁長とお会いする事が出来、この質問させて頂きました。


藤田庁長は「殷の頃から、古代中国の帝が立つ時には、暦の年号を変えます。でも、古代中国のそれぞれの文献に書かれている年号、干支がつながる訳ではなく、整合性がない場合も多く、改暦改暦のつぎはぎの状態だったと言った方がいいと思います。」と言われ、また「日本では明治の改暦以後ではありますが、干支の整合性をとる為、神武天皇の即位の年(紀元前660年)を辛酉(かのととり)と逆算し、現在における旧暦の干支は計算し直して決められております。」と答えて頂きました。


その後、家で調べてみると、現在の中国の旧暦もたまたまなのか、日本の旧暦の干支と全く同じであるようなのですが、どういう繋がりでそうなったのか、私にはまた疑問が生まれましたが、岡田芳郎先生の旧暦読本に辛酉(かのととり)は「天(神)が命令を改め、王朝を建てる」ことを行うとされる中国の讖緯説という古代思想の中心的考え方をもとに神武天応即位の干支を逆算しているようなので、もともとの中国も同じ考え方で調整を行い、同じ干支になったという事なのでしょうか。
干支は占いの根拠となる事が多いと思われるので、その基準はすごく気になるところでありました。


藤田庁長はまた「渋川春海の貞享暦以前は昔の陰陽寮の暦も含めて、ほぼ中国の暦をそのまま採用してきたらしいのですが、その後、確かに数学的根拠を持って作られた渋川春海の貞享暦でさえ、新しい暦を作ったというよりは、古い暦に改良を加えたものといった方がいいのかも知れない。また、日本に合った新しい七十二候も作ったともされるが、これも猟師など自然に関わる人たちの話を集めた結果で、今まで有った知識を総動員して、それまでの暦を改善したという方がいいのかも知れませんね。」と言われ、「その後、明治の改暦で役人の給料を節約する為とも言われもしたらしいですが、暦は「グレゴリオ暦」という太陽暦となり、旧暦から新暦に変わったのです。」という事を言われました。


また、「暦に季節というが、これはその時の「気」ととらえる方がいいのです。「日」ととらえると「日」が積み重なり、溜まるばかりであります。季節はぐるぐる廻り、また同じところに戻ってくるもの。「気」ととらえる事で、暦は循環する事が出来るのです。五行に関しても、水を得て木が育ち、木から火が生じ、火は土を生む、土は金を産んで、金には水(滴)がつく。暦も五行の循環と同じだと考えた方が良いですよ。十二支についても、植物の成長過程にたとえて、種の状態の「子」から、紐のように芽を吹きだす「丑」・・・そして最後の「亥」は閉ざす(殻・種)の意味で、また種に戻ってくるという意味でもあります。」とおっしゃられ、暦とは生きるものすべてがぐるぐると循環するものであり、自然を観察する事で暦は出来たという事を教えて頂きました。




また、次に「太一は宇宙の中心、天の北極、北極星、この周りを北斗七星が廻り、その外側には二十八宿があり、その間には神様が働いている。」と天の話もして頂きました。


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これはその後の私の蛇足的想像ですが、平安時代に思いをはせると、夜の平安京、朱雀大路から北極星を見ると北斗七星がその周りを廻り、北極星の下には内裏、北極星の下には天皇が常にいたんだと感慨深い思いが起こりました。


私がその藤田庁長の話に「まるで六壬占の式盤みたいですね」と返すと、「そうかも知れません。占いは地軸が傾き、地球が自転しており、その位置関係から、相対的に決まる相関関係によって導かれるものでありますが、占いはあくまでも統計学です。占いの根拠である暦が改暦改暦の不変のものでありませんでしたから、その誤差分も考慮に入れておかないと本当の占いは出来ませんし、もっと不確実ないろんな要素を考慮に入れ、経験的な部分で補いながら、完成していったのではないでしょうか。」とおっしゃられ、私が思っていたような「暦」と「天地から中国古代人が読み取った陰陽、五行からなる占いの原理」と「占いの結果」は理論的にシンプルな結果にまとまるのではないかという私の考えには収まらず、「占いは経験論的な統計学の世界になりますよ。」と教えて頂きました。

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そうなのですね。占いは天地の理でなく、統計学なのですね。私の理想も変えた方がいいのかもですね。


あと、具注暦については、「大唐陰陽書などのテキストを100種類ぐらいは読んでおくべきでしょう。」と藤田庁長は言われ、土御門暦の造暦者恐るべしと思いました。

また、「私のお世話になっている中国人の大学教授の先生が、中国に陰陽道はないと言われています。」と私が言ったら、「そうですね。陰陽道は日本で出来た言葉ではないでしょうか。」と答えて頂きました。

最後に、1つ印象的だった話があるのですが、藤田庁長が「安倍晴明は陰陽博士でした。」と言われた事です。私は「安倍晴明は天文博士ではないのですか?」と聞き直しましたが、「いいえ。陰陽博士です。」と言われました。土御門暦の冒頭にも、確かに安倍晴明が陰陽博士である事が書いてありました。私は安倍晴明が陰陽博士ではなく、天文博士であるとずっと思っており、晴明さんの専門の天文だと天文分野にも思いを馳せてきたので、正直少しショックでした。でも、陰陽博士の安倍晴明は何でか分からないけれど、しっくりくるなと感じる私もここにいると思います。

その後、いろいろな方々から安倍晴明は史実天文博士である事のご指摘を受け、ブログの内容を確認した方がいいのではとのアドバイスもお受けしました。
私は確かに陰陽博士である安倍晴明に魅力を感じます。
でも、私は史実であるといわれる天文博士としての安倍晴明を調べていく方針も貫いていけたらとも思っております。


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今回また、運よく土御門神道本庁の藤田庁長にお会い出来、有り難い話をたくさんして頂いたのですが、藤田庁長ももうご高齢という事で、いつまでもお元気でおられて欲しいという事を願うとともに、今回もお会い出来、ありがたいお話を頂いた事に対して感謝いたします。


土御門神道と暦会館の訪問、今回も得るものが大きかったです。

藤田庁長、本当にありがとうございました。











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