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天社土御門神道本庁 [陰陽道]

 

皆さんこんにちは。

お久しぶりの更新となりました。

今回は安倍晴明の子孫である土御門家の天社土御門神道本庁へ行って来ました。

土御門神道本庁.jpg 

 土御門本庁は前回登場の暦会館と同じ福井県大飯郡おおい町名田庄にあります。

前回の記事、福島県おおい町暦会館へは昨年の9月に行って来たのですが、実は昨年同時に、土御門神道本庁も訪問し、土御門家の藤田庁長にお話しをお伺いしていたのですが、藤田庁長の話しの内容がとても濃く、私の中で消化しきれていなかった理由から、ブログの更新が出来ずにいました。今年の9月にまた土御門神道本庁へおじゃまして、今年も運良く、土御門家の子孫である藤田庁長にまたまたお話を聞かせて貰って来ました。

昨年は暦の話、土御門家の歴史、安倍晴明の話、土御門家の今後、陰陽道の話、暦会館の建設苦労話など、幅広く、濃く、お話をお伺いして来ていたのですが、容易にはブログに出来ず、今年もう一度、藤田庁長にお話を伺う事が出来、やっとこの記事の更新にこぎ着けました。

安倍晴明肖像.jpg

今年の話は、安倍晴明の肖像画にある式神がペルシャの方の顔立ちをしているという話しから始まりました。

土御門家、大元の安倍家は、技術を持った渡来人の血が入った、外国の影響を多分に受けた血筋だと、藤田庁長は言われました。

晴明公が使い出した五芒星は西洋ではペンタグラムと呼ばれていますが、これは晴明公が編み出したというより、安倍家が外国の文明に通じていた証拠のひとつである。ペンタグラムはもともと西洋の方で編み出され、海を経て日本にもたらされ、この海の航海技術に通じていたのが、安倍家の家系であった。安倍家の家系は航海技術にも通じていた。藤田庁長は言われました。

蝦夷征伐、朝鮮百済の国の援軍の大将として、水軍を率いた阿倍比羅夫にしてしかりだと、藤田庁長は言われ、安倍氏氏が水軍を率いるという事は、当然、航海術にも通じ、海を通していろいろな外国の技術にも精通していたのではないかという事でした。

土御門家は後に天文道、暦道をも受け継ぐ事になるのですが、この天文観測の技術も外国からのもの、先ほどのペルシャ、メソポタミアの文明に端を発しておりますが、この技術にしても使いこなす為には、やはり西洋文明が見え隠れするようです。

北極星.jpg

安倍晴明の出生が未だ良く分からないのは、晴明のお母さんが外国の人だったからなどの話も飛び出しました。摂津の阿倍野に所領を持っていた、安倍の一族が、先ほどの百済の国から逃れてきた一族のお姫様が安倍晴明のお母さんであるから、どうしても表に出せなかった。安倍家は晴明公から吉志舞を奉納するようになったのだそうですが、この謎の多いお母さんの話は、吉志舞を舞っていた吉志一族の話だそうですが、このような表に出せない秘密があったから、晴明の出生は謎に満ちた話として語り継がれたのではないかという話も聞かせて貰いました。

また少し話はさかのぼります。安倍家の初まりは、8代目の孝元天皇らしいのですが、安倍姓を名乗ったのは、大化の改新の頃、左大臣として天皇に仕えていた、安倍倉梯麻呂で、その後、竹取物語の実在人物の安倍御主人、そして唐に渡り、大切な書物を吉備真備に託し、本人は唐から日本には帰れずじまいだった、安倍仲麻呂公。実はこの安倍仲麻呂と吉備真備の出会いこそが、日本の陰陽道の2大宗家の安倍家と賀茂家の序説であったらしいのです。安倍家の先祖である仲麻呂公が唐で獲得した陰陽道の秘書を吉備真備に託した訳ですが、吉備真備は賀茂家の祖先で、賀茂家に伝えられた陰陽道の秘術を、安倍家に受け継ぐにふさわしい人物が現れた時には、安倍家に伝授し、仲麿公の恩をかえす。安倍晴明は賀茂忠行、保憲父子に陰陽道の秘術を余すところなく学んだ訳ですが、この事で実現されたとの事で、なかなか奥深い話しでした。

 

土御門神前.jpg

天社土御門神道本庁の神前ですが、晴明公の坐像が前の方に出てきていましたが、土御門神道本庁の主祭神は安倍倉橋梯麻呂公だそうです(中央)。右側に泰山府君が控え、左側に安倍晴明公が控えておられるそうです。

また、晴明公は天皇家の料理長である大膳大夫も父に継いで、勤めていますが、これも安倍家があらゆる技術面で優れていた証拠であり、特に大膳大夫は漢方の知識も必要だそうで、安倍晴明は漢方の知識にも精通しており、中国の古典で、中国伝統医学の根本をなす書物「黄帝内経」などにも、当然精通していたのではないかと、藤田庁長は語られました。

黄帝内経素問 上巻―現代語訳

黄帝内経素問 上巻―現代語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 東洋学術出版社
  • 発売日: 1991/11
  • メディア: 単行本

 

明治初頭、明治新政府は陰陽道の宗家、土御門家に頭をさげ、陰陽道と作暦をやめてくださいと言ってきたそうです。代わりに土御門家の当主に天文技術の最高教育機関の長官になって貰えないかと言ってきたそうですが、当時の土御門家当主は6歳で、長官の話は断ったそうです。事実上、日本の陰陽道はこの時廃止されはしたが、現代の日本においても、知られていないだけで、陰陽道は日本文化の全てと関係しており、日本の年中行事はほとんどが陰陽道に由来している事を日本人は忘れかけている。陰陽道の廃止以前、日本は緻密に陰陽道で出来ていたとの事。明治政府は西洋諸国に負けない国家を目指す為、陰陽道を廃止し、西洋文明を西洋の最先端技術を取り入れ、躍進的な発展を遂げていくのだが、ここでの目覚しい発展が出来たのは、陰陽道で基礎が固められた、日本人の底力があったからだと藤田庁長は熱く語られました。

4色鳥居.jpg

 

藤田庁長に、今後の私の勉強の為に、陰陽五行と易とはどのように結びついているのですかと質問したのですが、「陰陽は易(占いの総称)と表裏一体で、五行が後から、加わったと考える方が良いでしょう」と答えて頂きました。暦についても質問したのですが、やはり造暦されているからと言うより、土御門の陰陽道のレベルがいかほどに高いかを感じさせられる程、分かりやすく、鋭く答えを頂けました。土御門恐るべしといった感想です。

藤田庁長は月の満ち欠けと、潮の満ち引きがある以上、世界の暦はまた旧暦、太陽太陰暦に戻るのではないかとおっしゃられていました。私も本当に同感します。太陽に加え、月と潮は私達の生活の中に、切っては切れなくなってくる。重要性が増してくると思います。

 

藤田庁長、本当に貴重な話ありがとうございました。

 

 

藤田庁長は最後に、「来月1日に岡野玲子さんがここに話を聞きにくるらしいです。」とおっしゃられていましたが、岡野玲子さんの漫画「陰陽師」のストーリに出てくる舞台「瓜割の滝」と「鵜の瀬」は偶然か、土御門神道本庁のある名田庄からは、比較的遠くない所にあります。車で30、40分といったところでしょうか。

瓜割りの滝.jpg

瓜割の滝です。今では意外と観光客に有名なようでした。

 

鵜の瀬.jpg

 

こちらは鵜の瀬です。ここの水は何かしら気分を落ち着かせてくれる何かがあるようでした。

 

土御門家、天文、暦、安倍晴明、陰陽師、水の流れ ・・・ なかなか感慨深いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 


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